【未掲載】分社化

ホテルが増えてゆくにつれて、事務処理や考え方なども次第に複雑になってゆき、頭が混乱してきた。とくに、2014年の、旧小浜観光ホテル取得後は、それが顕著になってきた。もはやホテルは、不動産会社の一部門というより、不動産と肩を並べるくらい存在感を増していた。

三井住友銀行に相談したところ、コンサル会社を紹介してくれた。コンサル会社によると、ホールディングスを作って、その下に不動産会社とホテル会社を置く形はどうかと勧められた。いわゆる、「ホールディングス方式」である。

 「不動産とホテルを別々の会社にすることによって、各々の事業に集中でき、両部門とも伸ばせるのではないか」。私はかねてそう思っていたので大賛成だった。西日本シティ銀行も、この考えに賛成してくれた。

こうして、「ジスコホールディングス株式会社」ができ、不動産とホテルが分社されて、「 ジスコ不動産( 株)」と「ジスコホテル( 株)」 ができ、2015( 平成27)年、新体制がスタートした。

ホールディングスなどどこかの大手の会社のことと思っていた私としては、「ジスコホールディングス」という名前に少し面映ゆさも感じたが、同時に初々しさも感じた。

一方、これによって私の持株は全てなくなった。つまり、雇われ社長になったわけだ。一抹の寂しさはあるが、今後相続対策を気にせずに経営に専念できることとなり、かえってスッキリした。

 同じ年、分社化の完了を祝うかのように雇用促進住宅の払い下げが始まった。かねて私は、不動産事業の長期的戦略として、フローよりもストックを重視して行きたいと考えていたので、この払い下げを好機として捉え、積極的に取り組むこととした。

 三井住友銀行に相談したところ、物件の築年数が古すぎて本来融資のまな板に乗らないところを、返済期間を極端に短くするなどして、積極的に融資に応じてくれた。

 諫早や長崎市に加えて玉名、長洲、荒尾、菊池など県外も所有して、合計五百戸になった。今、全戸がほぼ満室状態で推移している。

またこの頃、太陽光発電にも積極的に取り組み、雇用促進住宅と合わせて年間2億円の家賃収入増になり、新体制のスタートを飾ることとなった。今、コロナ禍の中でも、これらの物件は安定した収入を上げてくれていて、「ストック戦略」が間違いではなかったことを図らずも実証してくれている。  

 当社は、行政や政治とは無関係だったが、創立当初から銀行とは密接な関係を保ってきた。

 たちばな信金、西銀、みずほ、十八、親和、三井住友、肥後、そして中小企業金融公庫。どの金融機関も、接待も贈答も無縁の中で、当社の相談に真摯に耳を傾けてくれ、積極的に案件に応じてくれた。

 当社が今日まで来れたのは、間違いなく金融機関のおかげである。銀行は、当社のビジネスパートナーであり、育ててくれた親でもある。